幕末散歩

アクセスカウンタ

zoom RSS 会津紀行その1

<<   作成日時 : 2010/07/06 15:22   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

7/1から4泊5日で会津を訪ねてきた。
7/4にエンジン05が会津大学で開催されるのを切っ掛けに、白虎隊の義についての飯沼一元氏の講演を拝聴し、容保の墓参、市内の史跡巡りをするが目的。
画像


会津訪問は今回が2回目となる。一昨年に半日程度、鶴ヶ城内を見たことがあるが、会津全体の地政学的な知識が欠けているため、それを補うことが本来の目的で、今回は市内だけに限定し次回に周辺地域を巡る予定。

7/1  1日目は、移動日。
大阪から郡山までは定期高速バスを利用した。
20:50東梅田発、07:30郡山着、バス車中泊。乗客は10人もいない。休日前後の乗車率は知らないがこれでよく営業できていると感心する。
高速バスには初めての乗車だが、座席がリクライニングであっても乗り心地はそれほど快適とはいえない。
乗ってすぐアルコールを身体に入れ、いびき対策として鼻孔を広げ、耳栓をした。ただし長時間のバス乗車に慣れていないので1時間おきに起きてしまった。
晩に出発し早朝に着くので時間のセーブになり、費用も新幹線利用の60%程度なので今後も利用はしたい。

7/2  2日目 
郡山から会津若松まで電車で移動。ホテルに荷物を預け、以下の史跡をひたすら足で回る。
但し途中の造酒屋には必ず寄ることとした。

清水屋旅館跡 → 鶴乃江酒造 → 会津新選組記念館 → 阿弥陀寺(戊辰戦争戦死者埋骨地、
斉藤一墓、御三階) → 山鹿素行誕生地 → 日新館跡 → 西郷邸跡 → 戊辰戦争終結地→宮泉酒造
→ 山川大蔵・健次郎・捨松誕生地 → 萱野権兵衛・郡長正住居跡 → 各種記念碑 → 佐川官兵衛顕彰碑
→ 建福寺(河井継之助埋骨地) → 善龍寺(西郷頼母夫妻墓、なよたけ碑) → 小田山(西軍砲陣地跡、
丹羽能教墓、田中玄宰墓) → 松平家墓所 → 飯盛山



・清水屋旅館跡は、説明板に吉田松陰や土方歳三の来館の記述はあるが、惜しいことに昭和初年まであった清水屋の写真を掲示していない。写真があればよりイメージが湧きやすいのだが・・・・
画像
画像



・鶴之江酒造では会津中将と永寶屋を試飲し、自宅へ発送依頼した。
画像



・会津新選組記念館には貴重な史料が多い。その中でも、戊辰戦争で精鋭部隊といわれた長府藩報国隊の隊旗が展示されていた。長府博物館がのどから手を出して欲しがりそうな一品。
画像



・阿弥陀寺にある鶴ヶ城本丸から移した御三階は、平成20年に学術実測調査したとの掲示があった。今では専門家でも中には入れない。外観3階で内部は4階、鴬張り、一番上が望楼形式になっていて、四方の障子を取り外して庭を見ることができるようになっていた。密議場所であり、当時は側近だけが中に入れた。
画像



・阿弥陀寺の戦死者埋骨地はやはりかなり大きなものだった。比較するのはおかしいが上野の彰義隊の比ではない。
画像
画像



・七日町通りは、昔の町屋の雰囲気を幾分残した良い町並みだと思う。蔵などそのまま、または改造し店に使っている。
画像



・山鹿素行誕生地は、直江兼続の屋敷跡でもある。山鹿素行は会津で生まれ、主君とは異見をもち、赤穂に追放される。後江戸時代に見直され吉田松陰、乃木希典、東郷平八郎などの関心の対象となった。
画像



・宮泉酒造では、原酒と細雪を試飲し、自宅へ発送した。にごり酒の細雪は炭酸で割ると美味。

・三の丸で様々な記念碑を拝見した。秋月悌次郎北越潜行詩碑、秩父宮妃殿下お手植えの松、松平保定手植えの松、 松平勇雄手植えの松・・・


・建福寺への「河井継之助埋骨碑参道」の石は松平保定による書で、戊辰戦争百年を記念し建てられた。
写真右はしだれ桜で有名な建福寺。
画像
画像



・善龍寺にある西郷頼母夫妻の墓は、祖先の墓よりも格段に小さい。その人柄が偲ばれる。
画像


・西郷千重子のなよたけの辞世は甥の飯沼貞吉の書
画像


記念碑「奈與竹乃碑」は松平保定の書(左)
画像




・小田山は、ふもとにある「注意 熊出没」の札を無視して登る。急に天候が変り山頂で雷を伴う大雨に見舞われた。傘を持参しなかったため大きな木の下で一時雨宿りを余儀なくされた。

中腹にある西軍砲陣跡。説明文には、城までの直線距離約1600m、鍋島藩のアームストロング砲の飛距離2000m強とある。石田明夫氏によれば、直線距離は1360m、砲は15門で天主閣だけでなく商家にも向けていた。容保は砲撃正面の城の反対側に当る鉄門の近くに移り被弾を避けていた。
画像



頂上にある、藩政の大改革を断行した田中玄宰の墓。遺言により鶴ヶ城と日新館に向かって堂々と建っている。
画像



・松平家墓所では、霧雨が降りぬかるむ中、縁戚として2代から9代容保までの各代の墓のお参りを果たした。
仏式の2代藩主以外は初代藩主保科正之と同じ神道で葬られている。亀石に乗った事績を記す「碑石」の後ろ、一段高い所に二つの石灯籠を置き、その奥に誰それの墓と記した「表石」を建てる。その更に奥に藩主が眠る円墳があり、その上に八角形の「鎮石」が置かれている。

亀石に乗った事績を記す「碑石」
画像


一段高所に二つの石灯籠
画像


奥に正三位松平容保之墓と記した「表石」
画像


容保の眠る円墳の上に八角形の「鎮石」
画像



・武家屋敷は見学時間が過ぎていたため飯盛山に。
 飯盛山ではすべてを見て回ったつもりだが残念ながらカメラの電池切れで写真が撮れない。翌日再び来ることになる。


「 人気blogランキング 」  に参加しました。よければ押してくださいませ。

絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
会津紀行その1 幕末散歩/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる